上達・発達・リハビリの心理学

 私の読書は、先ずテーマがあって、そのテーマに沿って数冊の本を同時に読んでいくということが多いです。今、一番集中して読んでいるのは、「認知運動療法」に関する本です。
 元々のテーマは、「日常生活における様々な技術や、更に技術だけでなく、人間性というか、生き方そのものの<心身の上達>は、如何様になされているか?」ということです。
その探索の中で、認知運動療法の本に出会いました。
 
 本を読み進めながら、「人間行動を理解するための<飛行における三つの物体モデル>」というイメージが、私の中にできつつあります。
 
 そのことについて語りたいと思います。
 
 飛行における三つのモデルとして「大砲の弾のモデル」「紙飛行機のモデル」「追撃ミサイルモデル」を考えました。
 
 皆さんご存知のように、大砲の弾は、いったん打ち出されると、ほぼ飛行経路も着弾点も決まっています。紙飛行機は、同じ紙で作っても、折り方によって、またその時の外の環境によって、飛行経路も着地点も違ってきます。しかし、いったん飛び出すと、着地点を自分で決められないことは、大砲の弾と同じです。追撃ミサイルは、目標に向かって飛ぶのですが、目標の位置が変わると、その情報をもとに、飛行経路を変えることができます。
 
 以上は、私が恣意的に選んだ物体による三つのモデルです。人間の上達・発達・リハビリを理解するために、その基礎となる人間の行動を、この三つのモデルを使って説明すれば、より理解(予測と制御)が進むのでは、と思っています。(三つのモデルが真理だとは思っていません。)
 
 これもまた一つのモデルですが、私は現在太極拳の講師をしています。太極拳の動作で、踵をそろえた立位から、左足を肩幅に一歩左横へ踏み出すという動作をすることがあります。一見、学校の体操の時間に行った「気をつけ」の姿勢から、「休め」の姿勢に左足を一歩横へ踏み出す動作と似ています。
 
 教室では、「似ているけど、非なる動作」と説明します。気をつけから、休めの動作において、左足の軌跡を考えた時、一旦左足を動かし始めると、左足は着地するまで、移動経路がほぼ決まってしまいます。後戻りできません。太極拳の場合、一旦右足に体重を移動させ、左足に体重がかからない状態にして、左足を浮き上がらせ踏み出します。太極拳の場合、途中から後戻りできます。
 だから、気をつけから安めの動きは、大砲の弾のような動き、太極拳の動きは追撃ミサイルのような動きと、説明します。
 
 無条件反射的な動作、無条件反射をもとに新たに条件反射を身につけることによって生まれる動作、条件反射の連合学習による動作、そして認知学習による動作、これらは対立しているのではなく、レベルが違うのだと思っています。
 リハビリと聞いて、かつて私がまずイメージしたのは、「過度な無条件反射を抑えつつ、関節の可動域を広げたり、筋力を増強すること」です。
 
 しかし、次のような問題提起があります。例えば、長い時間正座して、足がしびれ、更には痛みが出たり無感覚になったりした時、歩けないのは、関節可動域が狭いからでもなく、筋力が落ちているからでもなく、自分のからだの状態の情報がうまく伝わらない、認識できないからである。平衡感覚に異常をきたすメニエル氏病の場合はもっと明らかです。メニエル氏病で立ち上がれない人に対して、筋肉増強運動や関節可動域を広げる運動はしないでしょう。先ずめまいの解決を図るでしょう。
ならば、脳梗塞後や事故後のリハビリにおいて、関節可動域を広げたり筋力増強を図ることだけが、リハビリであるかどうか?
 
 リハビリだけでなく、日常動作の技術においても、やたらめったの反復動作が必ずしも上達につながるとは限りません。
例えば絵を描くという事例において、私はそのことを感じました。私は、絵を描くのがとても苦手でした。止観瞑想(シャマタとヴィパッサナ)を実践することによって、酒井式描画法、B・エドワーズの「脳の右側で描け」という本を知ることによって、楽しんで描けるようになりました。

絵が描けなかった時、例えば木の葉を描く場合、目の前に木の葉がありながら、実際の手の動きは、自分の木の葉のイメージに従って、線を描いてしまいます。その線の軌跡もまるで、大砲の弾のようです。一旦動き始めると変えることができません。それが、一瞬一瞬自分の筋肉の動き、差異に注目できるようになると、自分の思うような線に近づいて行きました。それは、まるで追撃ミサイルのような軌跡です。

今読んでいる「認知運動療法入門」宮本省三・沖田一彦編集の156頁に次のような記述があります。

認知運動療法の臨床実践においては、次の4つの特徴的な規範がある。
1 注意の集中
特に強調されているのが、患者の注意を集中させることである。運動機能回復は、患者が自己の体内や外部世界からの特定情報を識別する能力を再獲得することによってはじめて起こりうるのである。そうした運動ストラテジーを再組織化するのに重要と考えられる情報に、患者の注意を集中させることが大切である。
2 閉眼での作業
認知運動療法は、ほとんどを眼を閉じたまま行う(第1段階と第2段階)。これにより触覚、圧覚、運動覚などの体性感覚へと、患者の注意を向かわせる。

とあります。これは、丸っきり止観瞑想の、止シャマタの方法の説明になります。瞑想を続けるためには先ず姿勢が大事で、その姿勢をつくるにあたり、自分の体性感覚に注意を向け、無駄のない姿勢を形成していきます。更に呼吸に伴う体性感覚に意識を集中し、無駄のない呼吸を形成していくのが止の瞑想です。
 
 先ほどの「認知運動療法入門」の155頁には、次のように書かれています。
「認知過程を活性化することにより、世界との相互関係を築く能力を改善することができる。健常者においてはこれを学習と呼び、病態を有する患者においては回復と呼ぶ。したがって、回復も学習のひとつの型と考えることができる。」

 また更に、
身体は情報の受容表面であり、世界に意味を与える為に細分化する。
運動(筋収縮)は、世界との相互関係を築くための手段とみなされる。(155頁)
とあり、
 大脳皮質の運動制御研究によって、身体の運動機能を司るとされてきた領域のニューロン活動が認知に深くかかわっていることが証明された。(161頁)
とあります。

マッサージの機械にかかるよりも、人間の手によるマッサージの方が気持ちがいいと、多くの人が言います。マッサージの機械には、機械にかかる人の筋肉の状態がどうなっているかというセンサーはついていません。出力だけです。一方人間の手は、触れてマッサージをしながら、同時にセンサーにもなっています。掌は、出力端子であると同時に入力端子にもなっています。
素人や未熟な人は、マッサージ機械のように、相手の状態とはお構いなしに、触れたり押したりします。ですので、マッサージの技術においても、大砲の弾のような動きと、追撃ミサイルのような動きがあるということです。

上達とは差異を見出すこと、あるいは差異をつくりだすことと深くかかわっています。
(差異を感じつつ、差異を採用しない、見送るということも、行動の選択・上達には大事だと思います。そのことについては別の機会にのべようと思います。)

 更にレベルを変えた次元からみた場合、日本の労働者の9割は、賃金労働者だといわれています。賃金労働者は、はたして追撃ミサイルのように、差異を感じ取り、自分の行動を決定できているでしょうか、あるいは自分では、差異を感じ取りながら行動しているつもりでも、メタレベルからみれば、実は大砲の弾のような行動、自分の予見と計画に縛られた行動しかできていないことはないでしょうか?