右脳を使ったダイエット

私が、今の仕事をすることになったきっかけのひとつに、玄米食がある。
  
高校を卒業して、京都で浪人生活を送っていたときに、玄米食を知った。
  
健康法としてではなく、ライフスタイルとして。
  
というのは、京都にマクロバイオティックセンターがあって、
私に玄米食を教えてくださった人は、久司道夫先生の愛弟子で、
久司道夫先生は、桜沢如一大先生の愛弟子。
  
そして後から知ったのだが、久司道夫先生も桜沢大先生のご両親も
熊野が出身地
 
米食を通して、ヒッピー・フリークの世界を知り、そのままドロップアウトした
 
ドロップアウト(放浪旅)を数年続け、いわゆる普通の生活も味わってみるかと
熊野に戻って、国鉄職員になった
(後に退職し、アジア放浪旅にでる)
 
米食では、咀嚼を勧める
咀嚼することには色々な効能がある
唾液が充分に混じるし、食事の量も自然と少なくなる
 
最低一口50回は咀嚼するように、と勧められた
実践すると確かに、効能があわられる
 
が、ついつい、忘れてしまうことがある
それで、いかんいかんと、数を数えながら咀嚼するのだが
そういったやり方に、違和感を感じ続けてきた
 
ビパッサナ瞑想を知って、数を勘定しない咀嚼を知った
 
私達は口だけで食事しているのではない、目でも食事しているとよく言われる
また、鼻(嗅覚)ででも食事しているとも言われる
 
当たり前の話だが、私達は、歯(食感)でも食事している
 
ところが、左脳優位な生活をしていると、頭で食事することになる
 
時間になったから食事にしようとか、時間までに済ませてしまおうとか
生きるため、仕事の為に食事をしようということになって
味わうこと(差異を感じること)がおろそかになりがちだ
 
右脳とか左脳とかいう言葉を使っているが、
それが真理だとは思っていない
ある事象を説明するとき、それが便利だから使っている
仮説、説明概念として使っている
状況に合わせて、もっとわかりやすい仮設や説明概念があるときはそれを使う
 
ともかく、数を数えて咀嚼するのではなく、
例えば胡瓜を食べるとき、その噛み心地、生じる音、香り、もちろん舌で感じる味など、
耳、鼻、目、舌、歯など、感覚を総動員してたべると、
自然に味わいながらの(右脳的な)咀嚼になる