私が仏教と出合ったのは、19歳の頃だ。
旅の途中、禅寺で泊まったおりの事
その寺の住職に、「仏教がどのような教えを説いているか知っていますか?」と尋ねられた。
答えられずにいると「四聖諦八正道」です、倫理の教科書に載ってますよと教えられた。
次に出合ったのは、三重県の山の中でのことだ。
山を開墾して、椎茸つくりをしている人がいて、そこに住み込ませてもらった。
ある日、山の中で問答をして頂いた。
「私とは何?」と問い、「このからだ」と答えると
「からだは、私のからだであって、私ではない、私って何?」と更に問われる
「意識」と答えると、「それも私の意識であって、私ではない、私って何?」と問われる
そういった問答が、沈黙をはさんで、続いていく
そのときは、照見することなく、もやもやした状態になったが
増谷文雄氏の原始仏教の著作を教えてもらった
そして、そこでの暮らしの中で「縁生」を知った
以来、自分なりに仏教を現代語訳しているが、
自分の浅学のせいだろうが、巷に出ている仏教解釈書でぴったし来る訳にあまり出会わない
仏教の歴史を考えると仕方の無いことかもしれない
ゴータマ仏陀がご存命の時には、縁起、縁生がそのまま伝わっただろうし
間違った理解をしていれば、正されたことだろう
しかし、仏陀がなくなり、次のアビダルマの時代になると
もう、実体論風な仏教になってしまっている
むしろ、ソシュールやベイトソンの著作のほうが、
縁生理解にはいいのではと思っている