遼かなり 天津租界 天津異界

遼かなり 天津租界 天津異界
 
最近、接骨院にみえられるようになったIさんのことについて語ろう
 
Iさんは、大正Y年(19xx年)生まれ。8X歳。
背筋がしゃんと伸び、矍鑠としておられる。
生まれて、7時間後にお母さんが亡くなられ、6歳の時、お父さんが亡くなった。
場所は、天津の日本人租界。

両親は、仕出屋、割烹旅館を営んでおり、6歳にして、旅館の女将になった。
後見人は、日本人租界の警察署長。
 
当時の租界は、下水道が発達しており、水洗便所だったという。
 
看護婦として5年学び、2年の実習を経験したが、天津でも戦火がおこり、引き上げ船に乗ることはできなかった。
その間、結婚をしたが、新婚2ヵ月半で、夫は出征。(戦死)
夫の両親と、長男とで、日本へ引き上げ、一人当たり1000円しか持込は許されなかったという。
看護婦免状も持ち帰れなかった。
 
夫の郷里、(山陰地方)へ戻った。
標準語はしゃべれたが、方言を理解するには、一年かかった。
 
戦後、通訳の仕事もしていたが、看護婦の勉強をしなおし、52歳で婦長になった。
67歳まで、病院に勤めた。
70歳の時、一人息子さんが死亡。2年ぐらい、呆けていたという。
息子のお嫁さんは再婚。
 
最初は旅行で熊野地方に来たが、気に入って、今はこちらに住んでいる。
 
細かい話は色々あるが、天津の話やら、彼女の人生を、あれこれ聞いている。
小説になるような人生だ。 戦争を体験した人は、多かれ少なかれそうだろう。
彼女の人生や時代に思いを馳せている。