腹を立てることは、適切な対処とはいえないでしょうね

 商業を営む上で、大切なポイントは、「品質」「納期」「価格」というチェックポイントだと、聞いたことがある。
 
 大きな商取引でなくとも、私達はスーパーで買い物をするとき、やはりそれなりに、品質の納得するものを選ぶ、スーパーなら商品が目の前にあるので、納期は即納、後は価格をチェックする。
 
 大きな商取引においては、当事者同士で、契約書を交わすのだろうが、スーパーでの買い物においては、買い手と売り手の間に契約書は交わさない。
 しかし、暗黙のルールは存在する。例えば、賞味期限を提示することとか、期限を切れたものは売らないとか、適正な価格で売る、といったことだ。
 
 商取引だけでなく、人間の行為は、明文化したルール、明文化されていないルールに照らし合わせて行われている。
 
 ここまでが前置き。

 さて、人はどんな時、腹を立てるのだろうか?
 例えば、相手が約束しておきながら、約束を守れなかった時。
 相手が、ルールを守れなかった時。失敗などしたとき。
 6月30日までに、納品しますと契約しておいて、その日までに納品されなかったら、催促や抗議をするだろう。
 消費期限を確かめずに買ってきた商品であっても、買い物をした後、家に帰ってみると、その商品が消費期限を過ぎたものであったなら、多くの人は、そういった商品を並べていた店に抗議するのではなかろうか?
 
 商取引でなくとも、会社などで、この程度の仕事はこなすだろうと思って、上司が部下に任せたところ、上司の思っていた基準に達していなかった場合、上司は部下を叱咤したりする。
 
 会社でなくとも、家庭でも、「あんたのしていることは、ええかげんだ」と叱ったりする。
<ええ加減>とはどういう意味か? 当然満たすだろうと思っている基準を満たしていない、ということだろう。
 
 この場合、基準を満たす能力があるのに、満たしていない場合と、元々満たすだけの能力が無いから基準を満たしていない場合がある。
 
 その場合、叱ったり、起こったりするのは、その場面を解決する適切な行動ではない。
 
 怒る側は、叱ったり、怒ったりすれば、次は、基準を満たすだろうと思い込んでいる。
 
 ある基準に達することができなかったとき、適切な対処は、できる様になるよう、能力アップの学習することだろう。
 あるいは、ルールそのものを見直す必要もあるだろう。
 
 ところが、よく怒っている人、怒られている人を観察していると、怒られる人は、怒られるような態度というか、サインを送っている。
 それは、まるで動物が、上下関係を確認しているような場面と似ている。
 上のものは威嚇の声を上げ、下のものは尻尾を巻く。
 あるいは、尻尾を巻けば、余計上のものは、威嚇の声を上げる。
 そして、その場は収まる。尻尾を巻かず、声を出せば、争いになるから。

 基準を満たすだけの能力が無いのなら、学習して、スキルアップを図るしかない。あるいは、能力以上の課題を求めていないかチェックすることなどだ。しかし、直ぐにスキルアップできるわけでもないので、「次には頑張る」とか何とか約束して、その場を収めたりする。
 
 又、上司とか指導者には、「怒れば次に能力がアップしている」ということを信じている人がいる。経験上そうだと、言ったりする。
 
 大体、叱られたりするのは、基準線以下のときである。
 もし叱られた人が、叱られても努力し、工夫し、学習し続けるという場面においては、次に基準を満たしていることは、確率的なものであって、叱られたから、上達したのではない。
 
 上司や指導者は、叱るのではなく、般化から弁別への学習、あるいは細かすぎる弁別から大雑把な般化への学習を、具体的に教えることが、適切な対処であろう。
 (せっかく夕飯のお手伝いをしてくれても、丁寧な火加減をしないと、魚は焦げてしまうし、あまり丁寧にゆっくり鯖をおろしていると、鯖は段々鮮度を失って生きます)
 
 そうしないと、「どうして又同じ失敗をするの?」と叱ったりしてしまう。
 
 失敗して落ち込んでいる人を激励する時にも同じことがいえる。
 落ち込むだけでは、解決にならない
 具体的なスキルアップの方法をアドバイスすることが必要だろうし
 能力以上の課題を課していないかのチェックも必要だろう
 
 連続した刺激が、必ずしも、スキルアップにつながらないことは、実験で確かめられているので、休養する、とか、時が解決してくれる、という表現のアドバイスも一理ある
 臨機応変の能力が、上司や親には求められる