幸せな王子

「愛する」といえば、つい
愛するものも、実利的に幸せになり、愛される人も幸せになる場面を思い浮かべてしまう
そういった状況を求めてしまう
 
ところが
「右を頬を打たれた時、更に左の頬を差し出す」という愛の場面もある
 
こんな話を読んだこともある
第2次大戦の頃、矢追日聖氏は、考古学の研究をしていたそうだ
発掘調査の帰り、遅くなり、暗い夜道を歩いていて、警官に不審者として疑われ
連行された。「発掘調査をしていた」といってもその警官は聞き入れず、「本当のことを言え」と矢追氏に殴りかかったそうだ。

 矢追氏は、古武道の達人でもある。よけようと思えば、よけられる。
 しかし、その時よけると、警官がバランスを崩し、ストーブにぶつかってしまう。
それで、矢追氏は、その警官に殴られるままにしたそうだ。
 
愛するがゆえに、愛する行為を実行するがゆえに、
こちらの身がぼろぼろになることもある、痛い思いをすることもある
 
こちらの身がぼろぼろになると分かっていても、
そういう選択肢しかない場合だってある
 
人間の森に住んでいるのは、小鳥や野兎やリスばかりではない
手負いの猪も済んでいて、手負いの猪は、誰かまわず突っかかる
 
と朝起きて考えていた
 
そうしたら、「幸せな王子」オスカー・ワイルドのことを思い出した
アマゾンで調べたら、素敵な絵本が出ていたので、購入した
幸せな王子
 
王子とツバメの行為を、行動理論で解説したらどうなるのだろう
行動内在性随伴性? 間接効果的随伴性?
ま、それは
そういった話しを出来る人と、できる時間にするとして
自戒の本にする
 
「恨みにもって、恨みにもってすれば、恨み尽きることなし」
と、仏教でも言っている