熊野の般若心経 初ティーダ

k1s2006-01-01

2006年1月1日
初詣は、家の裏山が連なっているところにある平嶋於俊神社へ行ってきた。
初ティーダ(初日の出)が見えるかな、と思ったが見えそうにないので
熊野の海岸(白菊の浜)へ移動。
しかし、やっぱり雲が多くて、初日の出(初ティーダ)は見えなかった。

於俊とは、平嶋神社の御神体で、お狐さん。
今年、熊野の森と妖怪伝説シリーズで、
南方熊楠さんと粘菌について語ってもらう予定だ
 
熊野の般若心経
 
<観自在菩薩行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄>
 
自分の在り様、世界の在り様を、丁寧に観察し続けていた修業者が
呼吸を見つめ、自分の心の動きを丁寧に見つめていて、ある日、はたと気がついた
全てのものごとは、様々な条件が寄り集まることによって生まれ、そして変化していく
苦しみも悲しみもまた、様々な条件が寄り集まって生まれ、そして消えていく
(向日葵の種を蒔けば、向日葵の芽が出て、向日葵の花が咲く
 だけど、花は花の遺伝子だけで、花を咲かすことはできない。
 大地が種を包み、陽の光が大地を暖め、雨が大地を潤し、風が語りかけ
 その他、数え切れない縁・えにしが集まって、一輪の花は花を咲かせる)
条件が揃い続ければ、苦しみはいつまでも続くし
条件が揃わなければ、苦しみは無くなるよ
 
<舎利子 色不異空空不異色 色即是空空即是色 受想行識亦復如是>
 
私の言葉に耳を傾けようとするものよ 
全ての観察されるものごとは、流れ行く、変化していく
その流れ変化して止まない世界が 貴方が現に生きている世界なのだよ
 
<舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不滅
 是故空中 無色無受相行識 無眼耳鼻舌身意
 無色声香味触法 無眼界 乃至 無意識界>
 
永遠不滅の真理などというものも、ある時代ある社会の条件の中で
これが永遠不滅の真理と思っているだけのものなんだよ
同じように、ありのままの感情とか、ありのままの姿とか、ありのままの世界というけれど
それらも実は、様々な条件が寄り集まって生じたもので
ありのままと本人と思っているだけのことなんだよ
 
<無無明 亦 無無明尽>
 
自身が、思い込み・主観に従って生きていることを自覚し
自分が選択して行った行為の結果を受け入れるならば
全ての観察される事柄が、無数の条件によって生まれ変化して行くことに気づいたなら、
無明のままで、安心することができるよ
今ここにあることが、かけがえのないことに気づくよ(天上天下唯我独尊)
そして、世の中に、病気や障害が無くなる事は無くて
病気や障害のあるまま、健康でもあれるのだよ
私達は、主観を離れて生きることは無いのだよ 
客観・本当の姿というものもあるかもしれないが
私達は、客観・本当の姿というものを知りえないのだよ
 
<乃至 無老死 亦 無老死尽>
 
人は必ずおいて死んでしまうが 自分の為すべき事を為しているその瞬間は
老死を超えており、やはり、全ての人は老いて死んでいくのだよ
私達は、すでに過ぎてしまった世界に生きることはできないし
まだやっても来ていない未来の世界に生きることはできない
たった今ここを、一回きりで生きることしかできない
それでいて、必ず老いていくし、この世から去っていく
過去に為したことが今ここに影響するし
今ここで為したことが、未来に影響する
 
<羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経>
 
行けるものよ 空気を吸い、水を飲み、食べ物を求め
異性を求めて、行けるものよ いつか死んでいくものよ
行けるものよ 空気を授かり、水を恵まれ、食べ物を与えられ
異性とめぐり合い、行けるものよ 生死を越えるものよ
天上天下唯我独尊の華を 咲かせなさい