右脳優位 左脳優位 分別 無分別

ある体験、感動を、過ぎ去ってから、文章にまとめるというのは
どちらかといえば、左脳優位と自分は捉えている
 
書きながら、あるいは書いたものを読みながら、再び感動を味わっているときは
右脳優位ともいえる
 
右脳優位とか左脳優位とか、あくまで説明概念で
全体が働いていると思っている
 
昨日、実に久しぶりにピアノを弾き、ギターを弾いて、歌を歌った
 
楽譜を読むというのは、左脳的な行為だと思った
その楽譜にしたがって、どう歌うかは右脳的
 
楽譜の通り歌えなかったら、音痴とか音を外しているといわれる
楽譜の通り歌いつつも、歌は一回性のことがら
 
何度か同じ歌を歌い、かつてよく歌えたと思う歌に近づこうとするのは、左脳的
楽譜は同じでも、うたは一回一回別のもの、別の事柄と思って歌うと、かえって声がでる
 
拡大解釈すれば
呼吸も同じ
呼吸を単純に言えば 吸って吐くの繰り返し
しかし、一回一回の呼吸は同じではない
人生も同じ
生まれて、死ぬということは同じ
朝日が昇り、夕日になって沈むということは同じだが
同じ一日ということはない
 
無無明亦無無明尽
無無明と右脳は知っており、無無明尽と左脳は語る