大抵の人は、「桃太郎」のお話を知っているだろう。
しかし我が家では、子供を育てる時、定本どおりに語られることは無かった。
桃太郎は、むしろ、平和に暮らしている鬼さんの宝物を奪ってくる侵略者だった。
(戦後、一時期、実際に桃太郎の話を出版することが禁止されたらしい)
劇団四季が、「桃次郎の冒険」という演劇を公演しているが、その公演を知る以前から、我が家ではそう語ってきた。
それは、ここ熊野が、鬼の住む土地であったからでもある。特に、私の生まれ育った宇久井地区は、神武軍に東征されたニシキトベの住む地域だった。
今住んでいる地域にしても、狗子の浦というが、浦とは裏で、都(中央権力)からすれば裏だ。
(裏は、温羅という言葉に通じるかもしれないが、今はそっちに寄り道しない。)
少々、パロディ的にも自身捉えていたのだが、案外パロディではないようだ。
というのは、若尾五雄著「鬼伝説の研究」金工史の視点から 大和書房 1981年刊
を読んでそう思った。
全国には、鬼伝説が色々あるが、大体鬼の住むところは、金、銀、銅、鉄など、鉱物資源のあるところだ。
先住の民をやっつけて、権力を奪い取ったものが、先住の民を鬼という。
これは、現在のエネルギー事情でも通じるところがある。
原子力におけるウラン鉱。
石油然り、フセインを支持するわけではないが、大量破壊兵器は、ついに見つからなかった。
妖怪というレッテルも、鬼というレッテルによく似ている。
妖怪研究といえば、非科学的なことを信じているように思われがちだ。(実際そういう人もいるだろうけど) 妖怪研究ではなく、妖怪の民に戻ろうと思っている。