この世は夢よ 夢を見よ

「これから、世の中はどのようになっていくのだろう」
「その予測の下、私はどう生きるのがいいのだろう。なにができるのだろう?」
という問いに対して
 
オーソドックスには
「過去の出来事から予測すれば、○○になる。」
「(○○史観や因果法則に従って予測すれば、)△△になる。」
という「応え」が先ず考えられます。
 
「そもそも、私達人間に、未来の予測なんかできるのかい?」
という問い返しの応えも考えられます。
 
予測できないとしても、
予測できないということを前提としたうえで
それでもやはり、何らかの行動を選択しなければなりません
 
何が起こるにしても、
苦しみは、己が作っているのだから
今までどおりの苦の創造を止めればいいという答えも考えられます
 
お馴染のレストランへ行って、「今日の注文は?」と問われ
「今まで注文した以外のもの」「無」という答えは
宗教的にはありえても、現実的にはありえません。
 
今までに無かったものを新たに創造するか
今まであったけど、採用されなかったものを選択する必要があります
 
例えば、ゲゼルの「劣化する通貨」 グレゴリーベイトソンの「精神の生態学
ブーバーの「我と汝」 野口三千三やフェルデンクライスの「身体論」
 
作者は忘れたのですが、日本の作品で、NHKのドラマの中で
ある人がこの世を旅立つ時、言った言葉 それが
「この世は夢よ、夢を見よ」です