信 美 

地元で「南方熊楠」についての講演会があった
 
見知った年配のヒトが多かった
郷土史研究や観光ガイドをしている人も多く見かけた
 
南方熊楠のことを、博物学者とか民俗学者と紹介する人がいる
粘菌の研究をした人だ、と紹介する人がいる
 
確かに、粘菌<を>研究したが、粘菌<で>研究した人だと自分は思っている
 
今日のQ講師先生は、熊楠は
西洋的な因果論では世界を語れない、
縁で語るべきだといったのだ、とさらりと紹介したが、
一体どれくらいのヒトが、ピンと来ただろう
 
講演中、ヴェトゲンシュタイン(ウィトゲンシュタイン)のことを思った
 
言葉がないと、私は自分の思うことを伝えることが難しいし、
モノゴトの認識も難しい
 
しかし、言葉は、コトの派
言葉は分けるもの 全体を表現できない
 
言葉は記号であっても
言葉を使うことによる「ものごとの実体視」は、これからもまだまだ続くのだろう
 
「人間は、精神と肉体からなる」という言葉のほうが、まだまだ主流だろう
 
あるいは、私が世界のありのままの姿を認識できないというのなら
私が作り出したバーチャルな世界に浸って何が悪いと居直る人も増えるだろう
 
無自覚なまま居直るヒトが、一番始末に困る
 
シバがやってきて、こういった
微笑をもって、優雅に踊ること