無意識の在り処

無意識について、無意識という「もの」があるのか、意識されない働きの「こと」を言うのか、それはともかく、ここ2,3日前までは、漠然とそれは「脳の奥のどこか」にある、というイメージを抱き続けてきました。
 これまたイメージなのですが、それは、脳の奥のどこかにだけでなく、細胞の一つ一つ、皮膚、つまり角質層も含めての皮膚、更に皮膚の外に広がっているのではないか、というイメージを今は抱いています。
 
 こういうイメージを持つに到ったのは、全体論やシステム論や複雑系、サイバネティック系の本を読み続けてきたこともあるが、もっと具体的には、
 ベイトソンの「精神の生態学」下巻660ページあたりのことや、ダーウィンのミミズの研究についての記述を読んだ事の影響が大きい。
精神の生態学〈下〉
 
アフォーダンスという言葉が、ある人々の間で流行語になりそうだと思うのだけど、要素論の考え方・視点のままで、アフォーダンスという言葉を使うと混乱すると思う。
 
 それにしても、西洋のミミズさん達が、自分の巣穴の穴を塞ぐのに、色々なやり方で塞ぐことが出来るのはどうしてなんだろう?
 
 システム論のいいところといえば、あのヒトがああいった、こういったと一々腹を立てなくなること。
 システムの中にあのヒトがいて、私がいて、あのヒトの発言や行動に対して、私にも責任があると捉えられることだと思っている。