私が小学生の頃、クラスの皆は、鉛筆を「安全ナイフ」で削っていた
私の住む地方では、その道具を「安全ナイフ」といっていたが、最近になって、関東では主にそれを「ボンナイフ」、関西では「ミッキーナイフ」「シャープナイフ」「ポケットナイフ」などと呼んでいたことを知った。
今でも私は、鉛筆をカッターナイフで削る
簡易鉛筆削りは嫌いだし、ましてや電動鉛筆削りなど、急ぐ時目の前にあったとしても使いたくない
鉛筆を削る時間というのは、私にとって喜びの時間だ
例えそれが、大切な試験の最中であっても。
鉛筆を削っていると、心が落ち着き、色々なアイデアが生まれてくる
と同時に、「今ここ」に集中できる
私達は生きるために、自分自身や自然環境や他の人に働きかけ、その働きかけの結果を受けて、更に工夫し、よりよい働きかけを学んでいく
鉛筆を電動鉛筆削りで削れば、スピードがアップされるかもしれないが
自分の手で工夫し鉛筆を削り、上手になっていくとか、今ここに集中するとかいった喜びを失ってしまったと思う
大きく飛躍して言えば、産業革命以後、分業労働は人間を疎外していったように思う