地球が去れば、星星が残る

今日の朝も、布団の中の寝心地がよく、起きるのが嫌になった
(50歳を過ぎていても、子どもだねえ)
 
一旦、服は着替えたものの、また布団にもぐりこんだ
 
すると、例の座敷わらしが言う
「遅く起きると、遅く起きた一日が、君にやってきます。
 早く起きると、早く起きた一日が、君にやってきます。
 どちらを選ぶかは、君の自由です。」
 
その言葉を聞きながら、うつらうつら、スーと眠ってしまった。
そして、ガバッと起きた
 
キネステティクでは、病気や障害が無いことを健康と言うのではなく
例え、病気や障害があっても、残された機能を活かすことを、健康増進と言う
と、私は説明している。
 
小山内美智子さんの、「あなたは私の手になれますか」を読んでいて知ったのだが、

<幼いころ、障害のない子に近づこうと訓練をしていた。すべて間違いではなかったと思うが、障害をもった子どもとして育てようとする教育は、いまもって日本にはない>
とある。
 
つまり、<足を使うことは禁じられて>いたのだ。
 
そこで、気になり、手話について調べてみた。
手話は、かつて聾学校では禁止されていた。
これだけ、世の中に認知されている手話だから、
正式にカリキュラムとして取り入れられているものと思っていたが
そうではないらしい。
 
介護保険の内容が変わり
介護予防と称して、行政と大学が一体になって
筋肉トレーニングを進めている
 
今日の地元紙に、W大学の教授による
介護予防の筋肉トレーニングスクワットの記事があり
上半身を前屈せずに、椅子に座った状態から立ち上がるように指導してある
前屈しては効果がないと、×印を入れてある
 
前屈せずに頭上方向へ立ち上がれるだけの筋力のあるヒトが、
更に筋肉トレーニングする目的は何だろう
前屈せずに立ち上がれない人が、スクワットを数十回すると
どうなるだろうか
 
人々が去れば、山々が残る
山々が去れば、地球が残る
地球が去れば、星星が残る