木を見て森を見る 森を見て木を見る

「木を見ているが、森を見ていない」あるいは「森を見ているが、木が見えていない」と慣用句を使って指摘された時、私達はどうするのでしょう?
 
この慣用句を英語で表すと、
 
「You cannot see the wood for the trees.」
「 to be caught up with trivial matters and lose sight of the big picture 」となるようです。
  
「木と森」の比較は、慣用句としての例えであり、
意味としては、
「目の前の現象だけを見て、全体を見通さないこと」
トリビアルな事柄に囚われて、全体の文脈が見えないことでしょう。
 
 木から遠ざかってズームアウトしても、木が遠くになって小さくみえるだけです。
 
 でも、要素論だと、森を見るには、木から遠ざかるか、より多くの部分を集めることになります。しかし、いくら部分を集めても、全体にはなりません。
     
そこで思いついた小話
林檎を食べながら会話していた先輩と後輩
先輩「君は木を見ていて、森を見ていない。木から遠ざかり、森を見なさい。」
後輩「先輩ありがとうございます。」
 といって、後輩は食べていた林檎を置いて、テーブルから遠ざかる。
先輩「君は何をしているのだ?」
後輩「林檎から遠ざかると、果物が見えてくるかと思いまして。」
 
 
木を見て、更に森を見るには、更に木を観ること
 
葉に穴が開いてあり、それがアポトーシスだったりする。
蟻がやってきて、葉っぱから出ている蜜を吸っている。
木を見上げれば、鳥の巣や樹冠が見えたりする。
足元には、枯れた葉や芽の出なかった木の実の間から新しい芽が出ている。