多因一果

9月23日から一週間、町内にあるギャラリーで作品展を開催する
 
猫の絵を描いて、
百丈野猫 不落因果 不昧因果 遊遊因果 と書いた
 
本来は百丈野狐
 
タイで赤痢で死にかけて
「いよいよ死ぬな」と思ったとき
力が抜け どうぞお任せしますという心境になったとき
「生きよ」という声を聞いた
 
今年の春、何事か大きなことが起こっていると自覚し
医療センターへ行き
ヘモグロビン値が三分の一になってしまったことを知り、
更に精密な検査を勧められ
病院のエスカレーターを降りるとき
複雑に絡み合った生命のつながりを感じた
 
因果という言葉には、混乱があるように思う
自分は縁生や業生と捉えているが
原始仏教になじみのない人は
物理的な因果それも一因一果の因果と捉えているように思う
 
のどが渇き、水道の栓をひねって、一杯の水を飲む
これも、具体的な因果
 
のどが渇いたことだけが「因」ではない
冷蔵庫のお茶を飲むこともできたし
我慢を選択することもある
自分で台所へ行くだけでなく、家族に頼むこともできる
 
 ・・・・・
 
やっぱり今ここに存在すること自体が、不思議だ
不思議を味わい楽しむとしよう