いまある

 今日の朝、目が覚めて、一番最初に何を考えただろう? 朝食のこと? 仕事のこと? 恋人のこと? 外で囀る鳥のこと? 夢の続き? そしてそれは、私の自由意志で考えたことだろうか?

 ともかく、意馬心猿ということばがあるように、一日、一時間の自分の意識を振り返ると、意は荒れ狂う馬のように、心は酔っぱらった猿のように、意識はあれこれ変化して流れていく。 

仕事しているとき、家族といるとき、友達といるとき、恋人といるとき、独りでいるとき同じ名前で呼ばれながらも、意識内容は違ったりする。

一念三千。あれこれ変化しているようでありながら、お釈迦様の掌で遊ぶ孫悟空の様。そもそも、私の名前は私自身が付けたものじゃない。私の母国語は、私が選んだものではない。私はシンハラ語がしゃべれない。今ある制度や法律から、あるいは道徳、自分の常識から抜け出すことは大変。
そうこうしながら、老いていき、やがて必ずこの世を去る、という意識がどこかにある。一体お前は、この世で何をなそうとしているのか?

意馬心猿でありながら、環境(関係)内存在。パブロフの犬。ことばは、複雑なベルの音。

全ては一回性の出来事であろうに、一体そもそもそこに冗長性を想定し始めたのは、誰なんだろう。

なにがあろうと、臨終であろうと、せめて、笑顔で暮らせたら。