椎名麟三の「永遠の序章」を読みました

椎名麟三」というひとの名前は、高校生の頃知りました。しかし、以来40年以上その著書を手に取ることはありませんでした。それが、この夏突然読んでみたいと思うようになりました。
 椎名麟三は、昭和6年(1931年)20歳の時に非合法の労働組織を作り、特高により逮捕されます。翌年、一審で転向せず4年の判決。昭和8年になって、転向の上申書を書き、執行猶予つきで出所。同じ年の2月、小林多喜二は、築地警察署内で、拷問による虐殺。昭和9年には、東北の大凶作がありました。昭和11年には、2・26事件。

 読もうと思ったきっかけは、小田垣雅也氏が、「信仰とは信―不信の対立を超えたものではないか、と椎名はいったのである。」と度々著書の中に書いてあるからです。(不信の度合いが違うことが、この夏知りました。)
 アマゾンで取り寄せようとも思いましたが、久しぶりに地元の図書館へ出かけて借りようかと思います。「美しい女」に出会えるかも。高校生の時には、手にしても読み切れなかったと思います。
 ウィキペデイアには、両親ともに愛人が居り、それがもとで両親ともなくなり、14歳の時家出、とありました。

椎名麟三著「永遠なる序章」を読み、諦めから来る安らぎの遠い遠い記憶を思い出しました。

「平安・やすらぎ」と言えば、あなた自身はどのような体験を語るだろうか?「諦め」から来る安らぎがあることを、私は青年期に知った。周りの反対を押し切り、生きる意味を求め、仕事を辞め、頭を丸め、東南アジアへ一人、放浪の旅に出た。タイ・バンコク赤痢になった。頭とお腹に棒を突っ込まれかき回されるような痛み、こんなに痛み苦しいのなら、早く死んだほうがましだ、死にたいというのがその時の望みだった。どれくらい傷みが続いただろうか、突然、痛みが止まった。ああ死ぬんだなと思った。生きたいと思う欲も、そして死にたいという欲もない安らぎ。混じりけのない冥い透明なチョコレート色した大地に包まれた感じ。
 あれから三十数年、再び色々な欲にまみれ、安らぎの記憶は遠くにあるものの、遠ざかっている。


 
 「人間は死を待つばかりの死刑囚である」と、椎名麟三氏は初期の作品の中で述べています。小学生でも、高学年になれば、自分がいつか必ず死ぬことを考え始めます。中学生にも中学生なりのニヒリズムがあるでしょう。「私」だけでなく、この社会も、文明も、人類もいつか必ず滅びてしまう。だったら、努力にどんな意味があるのだろう?と。対処法として、忘れたり、刹那主義になったり、せめて生きているうちは豊かに暮らそうと思ったり。高校生の頃、科学思考を身につけた私は、宗教は何の解決にも結び付かないと思いました。

 そこで、私自身は滅んでも、人類は理想社会に向かって進んでいる、その発展に貢献しようと未来のユートピアを「信じよう」としたことがありました。
 でも田舎を離れ、プロレタリアートの住む都会へ出てみると、矛盾は大きくなっているという実感の方が強く、「本」に描かれているような体制変革による人類の輝かしい未来図は感じられませんでした。
 それでも、未来の変革を信じよう、小さなユートピアを作ろうと農業を主体としたコミューンに憧れました。そして始めたのは、日本のコミューンをヒッチハイクしながら訪ねることでした。

 あれから40数年、農業コミューンにも放射能が降り注ぐ2014年。
 そして、そういった今がいつも「永遠の序章」と、椎名麟三氏は、述べているのでしょう。