イサドラ・ダンカンに捧げるフラジャイルウクレレ

 今から約40年前、大学に入ったものの、決められたレールの上を歩くだけになりそうなので、入学してすぐ、田舎(和歌山県)に親のところへ、「大学辞めるよ」と言いに帰りました。父親に一発殴られ、そのまま家出をしました。以来、大学は出ていませんでした。
     
6年前、二度目の臨終体験があり、手術後一か月仕事を休み、回復後、通信制の大学で学ぶことにしました。今春卒業し、卒業記念に、自分自身へエレキウクレレをプレゼントしました。
      
このウクレレとは相性が良くて、コード弾きでもなく、ソロ弾きでもなく、初心、幼子に戻って、意味づけられた音よりも、音の響きの組み合わせそのものを楽しんで、それに声を合わせて楽しんでいました。
     
後になって知ったのですが、自然に、5音音階、ヨナ抜き音階、ペンタトニックスケールに行きつきました。
     
ちょうど、ペンタトニックでウクレレを楽しんでいた頃、臨床の語用論を通して、コンテンポラリーダンスを知り、イサドラ・ダンカンを知りました。
     
イサドラ・ダンカンは20世紀の初め、トウシューズを履かず、裸足で、チュチュを身につけず、湧き上がる想いそのままに即興で踊りました。生こそ本物と、踊る姿は映像には残していません。
見せるためではなく、大切な人へのプレゼントとして踊りました。
イサドラ・ダンカンは、モダンダンス、コンテンポラリーダンスの祖と言われています。
     
舞台の上で踊るダンサーを育てようとしたのではなく、その人がその人の踊りを踊れるよう、踊りで人を育てようとしました。
     
以前から、踊りに興味はありました。 つれあいとは、舞踏の白虎社の合宿で出会いました。この歳で踊るのは、難しい面もあり、イサドラ・ダンカンが踊りで為そうとしようとしていたことの一端を、自分はウクレレでやってみようと思ったのです。

音楽にしろ、絵にしろ、現代の学校では、きれいに収めようとしすぎているように思うのです。
もっとどろどろしてても、なまめかしくても、生々しくても、ずっこけていても、もろくてもそれで感応しあえるのならいいように思うのです。
それで、私の弾き方をフラジャイルウクレレと名付け、7月27日の新芽・新曲コンサートに出演します。
場所 music cafe Folks  
〒519-5714 三重県南牟婁郡紀宝町鮒田1508−2
Tel 0735-21-1245
http://www.ztv.ne.jp/web/folks/index.html