フラクタルなネオ・ロマンチシズム

それは、何処でもいい
有名な場所にわざわざ出かけなくてもいい
通勤の時に前を通る家の生け垣や庭でもいい
都会の公園の片隅でもいい
足を止め
何処にでもあるような雑草に近づいてみよう
例えば今なら オオバコやナズナタンポポのロゼット葉や
アスファルトの割れ目に、
カタバミ草を見つけることができるだろう
 
デジカメや絵筆が無くてもいい
いつもよりもっと近くに、もっともっと近くに近づいてみよう
 
しばらく、その姿に見とれていよう
ロゼットがロゼットの姿をしているのは、
それなりの理由と悠久の歴史がある
 
寒い時期だから
乾燥しやすいところだから、
土に殆ど栄養のない痩せた土地だから
ヒトや動物に踏みつけられる場所だから
刈り取られるところだから
そこにその姿で生きている 生きてきた
その歴史は、宇宙開闢以来の歴史だ
 
それは誰でもいい
有名な人にわざわざ会いに行かなくていい
歩みをゆるめ
あなたの隣人の手に触れてみよう
急ぐことなく 決めつけることなく
耳を傾けてみよう
今何を感じているか 今何が生まれているか
それはフラクタルなネオ・ロマンチックな生命の歴史
 
この寒い時代を
痩せていく土地の上で
踏みつけられながらも
光を浴びて
温めあいながら