大人のための国語講座 試案つづき

< ただの言葉とあや >
  あなたがこの世に生まれ、人生で一番最初に使った「ことば・単語」は何でしょうか? ママ、マンマでしょうか? 普通一般には、おそらくその瞬間を覚えていないでしょう。その瞬間を覚えている特殊な例として、ヘレン・ケラーとサリバン先生の例があります。この例は、私たちにとって言葉がどのような働きをしているかを考える助けになります。
 

尼ヶ崎彬著 「花鳥の使い」 勁草書房から引用します。
    
 < 例えば、ヘレン・ケラーは流れ落ちる水に触れ、初めて無明の状態を脱したという逸話がある。彼女は、この時、手に触れているものを<水>という概念を以て捉え、この概念が「WATER」という記号によって表されることを知ったのである。この仕組みのあることさえ知れば、あとは一瀉千里。とりとめのない世界が、概念によって構造的に把握され、彼女はその記号を次々と憶えさえすればよかった。
     
 彼女が<水>という概念を掴んだのは、今触れているものと、かつて触れてきたあるものとが、温度や勢いなどの感触はさまざまであっても、これらが一つの<型>を共有すること、そしてその<型>に名称があることを知ったからである。言い換えれば、彼女は、この水あの水という個別的な接触を中断して、<型>という抽象化されたもの、即ち<水>の概念を意識の対象とすることによって、はじめて世界を構造化する方法を掴んだのである。
      
 この逸話は、言葉というものの性格をよく表しているように思われる。人は混沌の世界を<型>の集合へと分節化し、その各単位に名称を与えることによって、概念へと定着させる。この時、言語体系と概念体系とは同じものである。世界は、この言葉=概念によって、秩序ある構造として理解される。逆に言えば、我々が「有る」と考えている世界とは、仮設された概念体系としての世界である。>
 

 日本語では、<水>と<湯>は別の型に分節しますが、英語圏では分節しません。
 また、<色即是空>という「型の型」を体得すれば、今までと違った視点で世界が構造化されます。