綱渡り芸人が歌ってくれた歌

k1s2011-11-20

 私には、綱を太くすることはできない
 私には、綱の高さを変えられない
 
 できるのは、揺れるまま、狭いまま、高いまま
 綱渡りに馴染んでいくこと
 バランスのとり方 足の裏の感覚磨き
 風が吹いた時のしがみつき方 恐怖をやり過ごす術
 何度も落っこちそうになって身に着けた
 
 世間というところはでこぼこで 所々に崖があるから
 いつも地に足をつけたままというわけにはいかない 
綱を渡るしかないな


 綱を渡るとき、私は私の脈拍をみつめます。
 手首にそっと指を当てると、脈拍を感じることができます。これは、胸にある心臓がからだ全体に血液を送り出すため、収縮し刻んでいるリズムです。私が何を思い考えていても、例えばもし、生きていくのが辛いなあ、しんどいなあと思ったとしても、その時も心臓はいつもと同じように働き続けています。脈拍がある、心臓が動いているというのは、私達が生きている証、なにがあってもまず生きようとしている証です。
 生きたい、生きていたい、これは万人の願いだと思います。
  
 しかし、私達は、この心臓がいつか必ず止まってしまう、ということも知っています。病気になったり、あるいは老化によって止まるだけでなく、生きていたいと思いつつ、突然止まることだってあることを知っています。
 
 だから、生きていたい、と思うことの次には、「安全」に生きていたいという思いがわいてくるのも、万人の願いだと思います。
 更には、「安全」だけでなく「安心」して生きていたいという思いも、万人共通だと思います。
 
 万人共通でありながら、「ああこれなら安全だ、安心だ」と思える基準は、人それぞれです。また「安全・安心」と感じるための方法・手段もまちまちです。
 
 「なんやかんや言っても、お金が大事」と思う人もいます。そのためには仕事や学歴が大事という人もいるでしょう。お金だけでなく、人間関係や縁が大事という人もいるでしょう。いくらお金や人間関係があっても、病気には勝てない、健康が大事という人もいるでしょう。人間は必ず老いていくし、病気にもなるから、信仰が大事という人もいるでしょう。
 お金は大事という以前に、お金は必要だと思います。しかし、一体いくらくらいあれば、安全で、安心なのでしょうか? 人によって思いは違うでしょう。同じ一人の人間でも、状況によって思いは違ってくるでしょう。
 
 お金に関して言えば、いくらお金があっても、安全、安心は買えないと思います。しかし、なんらかの不安を感じてしまえば、先立つものがほしい、お金はいくらあってもいいと思うのが、私たちの偽らざる思いだと、私は思っています。

 一体、この不安というのはどこからやってきて、どこへいこうとしているのか、私は綱の上でみつめています。
 見つめていると、バランスがとれ始め、周りも見えるようになってくるのです。
 
 遠い古いインドの仏の教えによれば
 生きたいと思うのも、死にたいと思うのも、「渇愛」というそうな
 私たちは、生きているのではなく、生かされているそうな