濁流の中にあっても

いまから30年以上も前の話。当時高校生だった私は、友人数人と勉強会を始めました。テキストは、岩波新書の「社会主義入門」でした。

 当時の私は、人類の歴史の流れは、富の分配について、紆余曲折はあっても、力による分配から、働きに応じた分配へ、そして必要に応じた分配へと、濁流から清流へやがては変わっていくもの、進化していくもの、変えていくものだと、思っていました。
 
 今は、諸行無常で、社会体制は変化し続けていくだろうけど、そう単純には、変わってはいかないだろうな、と思っています。
 
 高校の時には、世界史の授業はあったものの、受験は日本史を選択したので、単位を取るためにしか本を読みませんでした。この歳になってから、おもにイギリスの歴史を軸に学びなおしました。

 金融や金利にだけ焦点を合わして、歴史を振り返ってみても、複雑な事情が絡み合って、制度が変化しており、金利のつかない経済など、なかなか想像することは難しいと思っています。
 でも、この金利が付くということ、金を貸して金利で儲けると云う仕組みがどれほど、我々の暮らしに大きな影響を与えているか。

 金を貸すその仕組みや仮想の金を生み出すシステム(これも一種の贋金づくり)もより巧妙に進化していると思います。
 
 人は生まれてすぐに座ることも歩くこともできません。ですので、社会体制がどうあれ、分業する、分配すると云うことは不可避です。
 
 分配の仕方としては、交換、贈与、略奪などがあります。 略奪と云えば、思いつくのが戦争です。 戦争はリスクが多いし、効率もよくありません。 もっと巧妙な略奪のシステムが金利だと思います。 サブプライムローンの巧妙さは、いまだによく理解できないくらい巧妙です。
 では、税はどうなのか? 国民国家の中の議会の議決に基づく「税」は、略奪とは言えませんが、巧妙な略奪、或いは詐欺に近い使い方をされていたりしていると思います。
 
 この巧妙な詐欺のような税金のシステムを暴こうとした人の一人が、「石井紘基」氏です。
 
 残念無念ながら、石井氏は自宅前で殺されてしまいました。
 
 人ひとりひとりを観ると、歴史の濁流に飲み込まれていくような感じがします。濁流が清流になることは、当分ないだろうと私は諦めています。

 しかし、濁流の只中にあっても、「救い」はあると思っています。