苦しみは虹のよう 確かに見えている、しかし

仏陀の弟子が、ある時仏陀に尋ねました。「一切とは何ですか?」仏陀は答えました。「一切とは、色と受である。」

 また自らも「一切」について語っています。

< 比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。よく聞きなさい。「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。 (サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3) >


 もしもこの世界が、「赤一色」のみで覆われていたら、「赤」という言葉も、認識も生まれていないかもしれません。「赤」は「非赤」があって、「赤」と認識できるのだと思います。
 
 もしも赤一色であったなら、光を感じる視覚的感覚器官は必要ないでしょうが、たまたま別の感覚器官が光もついでに感じることができるとして、その感覚器官を休ませることによって、「赤」と「非赤」の差異を感じることができるかもしれません。まあこれは仮想実験ですから、「赤」は例えにふさわしくないでしょう。「光」と「闇」なら、どうでしょう。闇とて光あっての闇であり、光は闇あっての光だと思っています。
 
 実は今、認知心理学のレポートを作成中で、「カテゴリー」とか「概念」という言葉がテキストに出てきます。テキストは、「グラフィック認知心理学サイエンス社刊です。
 
 60頁に 
3.2 概念の構造
 概念に関する心理学研究は、かなり以前から行われており、いろいろな考え方が示されてきているが、それらは大きく分けると、1.定義的特性理論 2.プロトタイプ理論、 3.理論ベースの概念理論、という3つに整理することができる。
 
 とテキストらしい表現がされています。
 
 著者の皆さんには失礼ですが、テキストは退屈な感じがします。これらの記述が私達の日常、私達の喜びや悲しみとどう関係あるかと結びつけて読むことは、読者に任されていることです。
 私達の住んでいる世界には、「差異」があると思います。硬い柔らかい、熱い、冷たい、明るいくらい、うるさい静か、様々な特性の差異があることでしょう。しかし、その境界線はあいまいです。連続していて境界線があるわけでないといってもいいでしょう。いまちょうど目の前にアジサイの花が活けられていますが、中心はクリームがかった黄色で周辺へ行くと赤紫になっています。
 
 で、どこに境界線を引くのかというと、それは私達の側だと思うのです。
 
 同じ場所で同じ虹を見て、ある人は6色の虹と言い、ある人は7色の虹と言い、ある人は、それは文化の差であって、私には境界を引きようがないと言ったりします。
 
 差異は、確かにあるのだと思います。
 しかし、境界線は、私達が引いているのだと思っています。
 
 死にそうな目にあって、助かった直後、「生きている」ということと「死んでいたかもしれない」とを比較し、ただ生きているだけで「有り難い」と感じたりします。
 
 数年を経て、その体験が薄れていくと、理想状態で生きていることと現実の生きていることを較べ、「不満だ」といったり、「昨日、今日、明日、変わり映えしないで生きていること」を比較して、「退屈だ」という感じになったりします。
 
 同じ生きていることが何かと比較することで「有り難い」「不満」「退屈」となったりします。
 
 確かに、世界の側に「差異」はあるのでしょう。
 でも、境界線を引き、何と何を較べるかは、私達自身だと思っています。
 
 何と何を較べ、何を選択したか、そのことを、更に較べ評価するのも私達自身です。

 観察し、評価する時、そこに観察の理論負荷性が働きます。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。 あるいはあばたもえくぼ。
 
 何度も言いますが、世界の側に確かに差異はあることでしょう。
 しかし、
 世界の側に、動かしようのない境界線があると思ってしまうと、それは苦しいです。
 
 境界線は動かしようないものと思い込み、比較する対象はそれしかないと思いこみ、比較する基準、自分の理論・仮説はそれしかないと思いこむと苦しいです。
 
瞑想の一つの作用は、自分のかけている理論負荷の眼鏡の存在に気付き、はずしてみることです。「違いを生み出している違い」に気付くこと。
 
 差異に対する関わり方も変わってくるでしょう。
 それはニーバーの祈りとなります。
 変えられることについては、変える勇気を
 変えられないことについては、受け入れる心の静かさを
 変えることのできることと、変えることのできないことを見分ける智慧
 与えてください
 
 差異もあるでしょう、較べることもあるでしょう
 でも世界は一つにつながっているという理論・仮説を受け入れていませんか?