客観と主観

宇宙がどんなに広くとも、もし宇宙に人間が一人もいなくなったら
「客観的な宇宙」が残りはしても
「広い」という言葉もなくなり、
そして広いという判断も意味も感動もなくなるだろう
 
客観を否定するのではない
客観と主観を、同じ土俵の対立とは見ないだけのこと
唯一の客観があって、それに至ろうとする不完全な主観があるのではなく
客観は、それぞれの主観の一つの要素と捉える
客観の方が、主観の一部をなす要素と捉える
 
客観的であろうとする科学は、もともと神話や宗教から生まれたもの

客観というコップに、穴があいていてはコップにならないが
何らかの主観が注がれないと
空のコップは、生命の無い死んだコップ

博物館に飾られる高価なコップだとしても
注がれないとコップじゃない

水を注ぐもよし 酒を注ぐもよし 粉を掬うもよし
神話を注ぎ
飲むもよし 花を活けるもよし
 
コップが割れたらって?
コップが割れて星屑となり
星から雫が垂れて 河に流れたとさ