響きあう世界 平等であっても同等でない

楽譜は同じでも、演奏する人、歌う人によって、その音楽表現から伝わってくるものごとは同じではないことはよくあります。その曲を創った本人が歌ったり演奏する場合でも、時と場所によって、違う印象を受けることはよくあります。

同じ本を、同じCDを、もう一度読み直したり、聞きなおしたりして、新たな感動が生まれたりするのは、読み手、聞き手の側の変化だけど、生の話や演奏の時は、話し手や歌い手自身の変化や文脈もあると思います。

仮に本質的に変わらない何かものごとがあると仮定しても、そのものごとは、文脈によって、他との関係性によって、違った姿形を表すのではないでしょうか?

全く同じとは言えないけれど、別かというと、別でもない。

( 同じ平面上で、重なっている部分もあるけれど、重なっていない部分もある、という意味だけでなく、ある次元では一致していても、メタ次元では一致していないといったような重なりのことです。 )

 そういう世界に、私達は生きているように思います。
 
 イメージとして、よく例に挙げるのが、右手と左手の関係、右手と右足の関係です。
 自然界なら、根っこ、幹、枝、葉っぱ、花、一緒じゃないけど、別でもない。
 
 同じでなくていい。でも、響き合えたらいいのにな、と思います。

 同じ次元にへばりついていたら、響き合い難し、ともおもいます。
 
 もちろん ピアノにはピアノの良さ、響きがあり、トライアングルにはトライアングルの独特の良さ響きがありますね
 

同じ空の下
昨日、昨夜は、多くの人、多くの生命がなくなりました
一昨日は、今後起こるであろうと予測される南海地震に備えて、防災用品をつめるリュックを出して用意をしていたところです。
ご冥福を祈ります