平穏な時にこそ神を想う 苦を受け入れ、苦を観つめる

「わたし(キリスト)は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)
 
 聖書をどのように読むか、1000人ひとがいれば、1000通りの読み方があると思っています。
 
 私の原点は、ゴルゴタの丘の3本の十字架であり、ゲッセマネの庭の祈りです。
 
 平安とは、平安を乱すものが、この世から一切なくなることではないと思っています。平安を乱すものを受け入れ、向き合い観つめ、改め、更に受け入れる時、平安を乱すものは、ただ平安を乱すものではなくなる、と思っています。
 
ダブルバインドという問題解決の理論があります。
詳しくは、ウィキペディア、あるいはベイトソンの「精神の生態学」を読んでみてください。

ウィキペディアにはこうあります。
理論
1.2人以上の人間の間で
2.繰り返し経験され
3.最初に否定的な命令=メッセージが出され
4.次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令=メタメッセージが、異なる水準で出される
5.そして第三の命令はその矛盾する事態から逃げ出してはならないというものであり
6.ついにこのような矛盾した形世界が成立しているとして全体をみるようになる
という状態をいう。

 小さい時に、私が、周りの大人達からの私に発しているメッセージとして捉えていたのは
「この世の現実は競争社会である。人間は誰もが己が一番可愛いのだ。自分自身の欲を満たしたいのだ。強くなって、この世を生き抜け。」というものでした。
同時に、大人達は次のようなメッセージも発していると受け取りました。
 「他の人に思いやりを持ちなさい。愛し合いなさい。協力し合って生きなさい。正直でありなさい。」


これは、私の考えなのですが
人は皆、「生きなさい。」というメッセージと「やがて、あなたはこの世を去らねばなりません。」という二つのメッセージの中で生きていると思います。
 
そのメッセージの中で、どのような人生を作っていくのか、私達一人一人に任されているように思っています。ですので、人は皆スピリチュアルな人生を送っているのだと思います。

捨て果てて身はなきものと思えども 雪の降る日は寒くこそあれ 花の降る日はうかれこそすれ