分け隔てなく

朝、瞑想していたら、降りてきた言葉が
「分け隔てなく」という言葉でした。
 
仁徳の素晴らしさをあらわす表現のひとつに
「あの人はわけ隔てなく、人に接する」という表現があります。
 
今一度、日常的に使う言葉である「分け隔てなく」ということを、
我が身を通して、少し丁寧に考えてみたいと思いました。
 
自分は、分け隔てなく人に接しているか?
そうなりたいと思いつつ、実際は分け隔てています。
 
「分け隔てる」ということと、
「分け隔てなく接する」ということは同じではないと思います。
 

「分け隔てなく慈しむ」には、「分け隔てる」ことがむしろ大事だと思います。
分け隔てないことには、適切な対応が難しいと思います。
 
分け隔てる過程において、
観察する時、考え判断する時、具体的な行動に移す時それぞれに
自分のバイアスがたっぷりかかっていることを自覚することがまず大事でしょう。
 
(より丁寧に分け隔てる為には、シャマタ瞑想するといいでしょう。)

どんな人や出来事に、どんな意図を持って、親和し、親切にし、接近しようとしているか?
どんな人や出来事に、どのようにして、好感を持ち、嫌悪感を感じているか。
 
そうやって我が身を振り返ると、
我が身、わが心の小ささ、弱さ、貧しさを感じずにはおれません。
 
小さくて、弱くて、貧しいがゆえに、
祈り、瞑想し
分け隔てなく慈しもうと、常に決意し直すのです。