道徳とマスターベーション

道徳について
 私達が何らかの行為行動をするとき、何らかの価値体系、価値基準をもとに、その人なりの論理形式で、思考、判断、選択、決定しています。(選択肢が一つしかないような場合でも、するしないという二つの選択肢があります。)
 
 その論理形式は、おおよそ、
大前提 おおよそ、○○の場合、△△するのがいいことだ。
小前提 今、○○の場面である
結論  ゆえに、△△を選ぶ。
という形を取っていると思います。

大前提には、その人にとっての一番基本となる価値観が入ります。
 
この大前提が、その本人にとっての根本の道徳でしょう。
この本人にとっての道徳と、世間の道徳は、一致することもあれば、一致しないこともあるでしょう。
 
「人前では○○するが、人のいない時には○○しない」という場合や
「人前であろうが無かろうが、△△する」という場合もあるでしょう。

この道徳性は、人間に生得的に決定づけられているのではなく、社会生活の中で身につけ、発展させていくものと捉える見方の方が主流のように思います。


今の日本人にとって、マスターベーションは道徳的にどのような評価がされているのでしょうか?
 
私の身の回りでは、おおらかに、マスターベーションについて語り合っている様子が見えないので、私の身の回りの世間ではやはり、明らかにおおらかに語ることではないようです。
 
基本的には、一切の自性は空であり、医学的にも、心理的にも、悪いことではないと思っているのですが、世俗的には、そうとも言えません。
世俗には、迷信がはびこっていますし、広める人もいます。
要素論や実体論を前提としている人には、わかりづらいことかもしれません。