死に臨んで オールマイティカードとしての止観瞑想 

多くの人が持っているであろう漠然とした人生の目標、願いとして、
「死ぬとき、苦しまずにいたい。」「死ぬとき、後悔しないでいたい」
「死ぬとき、幸せな状態で死にたい」「死ぬとき、満足して死にたい」
という目標があると思う。
 
この願いは
深い願いでありながら、普段は漠然としていて、あまり自覚されていないように思う
その目標を達成するための手段、その手段を達成するための下位手段、
その下位手段を達成するための更なる下位手段と階層が下がっていくうちに
元々の目標が見えなくなってしまうのだろうか
 
しかし、人生最後の日が、自分の理想通りの日になる保証はない
 
しかし、たとえどのような日になるとしても、
苦しまずにいられるオールマイティカードが無いでもない
 
それが、止観瞑想 
例え 苦しみがあったとしても 苦しみを「観れ」ばいい
 
でも、その最期の場面で、
止観瞑想ができるだろうかという不安が出てきたりする
 
すると、時空を超えて 一遍上人の声が届く
 
今ここで止観瞑想できないものが、その時にできますか?
今ここで、「ありがとう」と言えないものが、その時「ありがとう」と言えますか
今ここで、「ごめんなさい」と言えないものが、その時「ごめんなさい」と言えますか
 
だから
「いまこのとき」が「そのとき」でもある