好きな食べ物 嫌いな食べ物

「私は林檎が好きだ」(「私の好物は林檎です」)という文章と
「私は今この林檎が食べたくて食べている」という文章
そして、「今食べているこの林檎は美味しい」という文章は
三つ並べてみると、それぞれ違う意味を含んでいることが分かる。
 
でも日常の中では、
ある人が林檎を食べていて、「ああ美味しい」といっているとすると
 
「ああ、この人は色々果物があるなかで、林檎を食べたくて、食べている。
 林檎が好きなんだな」と思ったりする。
 
「林檎が好きな人」とはどういう人だろうか?
 
色々果物が並んでいる中で、選ぶとしたら、林檎を選ぶことが多い人?
年間の果物の消費量の中で一番リンゴの消費量が多い人?
果物の中で、林檎が一番美味しいと思っている人?
 
A(そもそも「林檎」という言葉は、何を示しているだろう?)
 
今までの質問の意図が、わかる人と、わからない人がいると思う。
一体分かり切ったことをなぜ聞くのだ?と思う人もいるだろう。
 
言いたいことは次のこと
林檎に「美味しさ」という「実体としての属性」があるかどうか?
 
「彼は林檎が好きだ」あるいは「彼の好物は林檎だ」という表現は、ごく普通に使うが
その文章は、「彼」や「林檎」「林檎が好き」を実体視して使っていることが多いのではないか?ということ。
 
私達の日常感覚としては、「この世は実体として存在する物あるいは元素の集合である」と捉えやすいのではないかということ。
 
ものごころついた頃のある時、何かまだ名前の知らないあるものを、お母さんが「さあ林檎を食べようね」と食べさせてくれたとする。とても美味しいと感じたとする。そういうことが何回かあるだけで、私達は林檎には美味しいという実体があると思ったのではないか、ということ。「私は林檎が好きだ」「私には林檎が好きだという性向が実体として存在する」と思い込んだのではないかということ。
 
林檎が好きといっている人にお尋ねします。
林檎には、美味しさという実体としての属性がありますか?
 
納豆が食べられないという人にお尋ねします。
納豆には、「不味い」という実体としての属性がありますか?