理想と現実と空想と

私達が何気なく使っている「ことば」について、改めて考えてみましょう。

(   )想   (   )の中に入る漢字を思いつくだけ書いてみてください。

理想 空想 予想 愛想
 
では、理想と空想と予想の違いを説明してみてください。
 
私なりに説明すれば、「空想=こうだったらいいのになあと願うことがら」「理想=こうあるべきだと考えることがら」「予想=こうなるだろうと思うことがら」となります。
 
しかし、現実の言葉遣いの中では、私達は、空想、理想、予想をはっきり区別して使っている訳ではありません。

 例えば、「私の理想の人」という表現は、「私の空想の人」と言ってもいい場合があります。「理想国家」という言葉の場合はどうでしょう?「空想国家」であったり、「予想国家」であったりします。
 
 人が何事かを空想し、そのことをめぐって争うことは少ないと思います。
 本人も周りの人も、それが空想であるという自覚があるからです。
 
 人が何事かを予想する時、そのことをめぐって、議論はあると思います。
 しかしその場合も、お互いに予想をめぐっての議論であるという自覚があれば、感情的な争いにはなりづらいものと思います。
 
 問題は、理想です。理想という言葉は、多くの人にとって、肯定的なイメージを持っている言葉ではないでしょうか? 理想的な恋人、理想的な家庭、理想的な自分、理想的なつれあい、理想的な子供、理想的な仕事、理想的な社会
 
 私達は、無意識のうちにも、今よりいい状態になりたい、理想に近づきたい、そうなるべきだと努力しているのではないでしょうか。

 しかし、人はしばしば、理想をめぐって争い、また自分自身苦しんだりします。
 それは、理想と空想と予想をはっきり区別していないからではないでしょうか。
 
 私は、理想にも、「空想的な理想」と「理想的な理想」があるように思っています。
 「空想的な理想」とは、「こうであってくれたらいいのになあ」と思う理想です。
 「理想的な理想」とは、「こうあるべきだ、ねばならない」と思う理想です。
 
 「ねばならない」と思えば苦しみます。「現実」を受け入れることはなかなか難しいことです。これとて「現実を受け入れなくてはならない。」と言えば、また苦しみを生みます。嗚呼あ、、。
 「理想」にしても、「ねばならぬ」と思っていることは本当に「ねばならぬ」ことでしょうか?