問診と試作のコミュニケーション

治療・援助・子育て等を行う時、訪問者・相手の表現を聞きとり、
診断・判断することの大切さはいうまでもありません。
 
 診断しないことには、次の治療方針が決まりません。
 
 ところが、訪問者は、自分のことでありながら、
 自分に起こっていること、自分の身の回りで起こっていることを
 ありのままにすべてを表現できるとは限りません
 
 そこで、治療者・援助者は、問診する 
 もちろん 望診や、触診もする
 
 「頭が痛いんです」と表現したとして
それは、「ずきんずきん痛いのか」「重い感じがするのか」「ピリッと痛みが走るのか」
尋ねることになったりします
 
 「腰が痛い」という表現があったとして
「安静にしていても痛いのか」「寝返りなど動いた時痛いのか」を尋ねたりします
 
「頭が痛い」とか「腰が痛い」という表現は、起きていること全体を
「圧縮」した表現、「分節」した表現、「編集」した表現でしょう
 
「分節」「圧縮」「編集」
これは治療・援助の会話に限らず、一切のコミュニケーションに当てはまるでしょう
もちろん、恋の表現についても言えるでしょう

そもそも 
私達は、私達自身について、私の身の回り・世界に起きていることについて
ある部分だけを、分節したり、編集したりして
私とはこんな存在、世界とはこんなところと思っている傾向があります
 
適切でない診断が、適切でない治療方針を生み
適切な結果をもたらすことが出来ないように
その人独自の分節、圧縮、編集が
望まない結果をもたらすことがあります。
 
それでいて、本人は自分の、独自な分節・圧縮・編集に気付いていなかったりします。
 
 
瞑想することによって、色と受(想行識)の結びつきを観察することによって
気づいたりします
サンスクリット語を学ぶことによって、基体と属性の関係に目覚めたりします
心理学を勉強することによって、自分の認知の傾向、物語形成の傾向を知ったりします
 
詩を作る、味わう 創ったものを人の前で朗読する、表現する
そのことによっても、分節、圧縮、編集を感じることができるでしょう

来月は、俳句会のようなルールで、詩作会を催そうと思っています。