今日という日

私達は、色々なことにおいて、多重の生活を送っているように思う

例えば、今日という日は、明日に繋がる過程の日であり
同時に、そういった今までの日々が集積し到達した日であると思う
 
今日という日は、手段であり、また同時に目的であると思う
 
ところが、多重性を忘れてしまい、一面だけに生きるようになると
今日という日を手段だけにしてしまえば
自分も他者も疎外してしまう
今日という日を目的だけにしてしまえば
いとも簡単に刹那主義に陥ったり
余裕のない一期一会になってしまう
 
これまで一度も、理想社会など実現されたことなどなかっただろうし
これまでかつて、すべての日が、永遠と共にあった
 
坂本竜馬の最期は暗殺であり
ローザ・ルクセンブルクの最期は虐殺であったが
その一日一日の日々は、永遠の光を放っている
 
満足することなく、常に学び、問い続けること
問い続けることは、過程であり、永遠でもある
 
今問うていることの末端の一つは
江戸時代中期には、室町時代と比べて、
農耕地の面積が3倍になったのに
どうして、江戸幕府は財政難に陥ったかということ
問うていると
色んな事がつながってきた