父母と父母世代への反発から、青春時代に、学校教育というものを信じなかった。
学校は、人間を選別するための機関として、反発しながら、仕方なく勉強した。
大学は入ったものの、中退ならず初退し、親とけんかし、そのまま家出し、放浪旅に入った。
当時北海道には、大きな駅の近くには、カニ族の家と名付けられたテント村があり、(リュックを担いで列車内を歩く時、まっすぐ歩けずに横歩きしたから、カニ族と言われた)テント村で寝ていると、アルバイトにありつけたりした。一番手っ取り早く、食事と布団にありつけたのは、新聞配達所だった。市場関係のバイトは、商品にならない野菜がもらえた。
ともかく、歴史、経済を系統だって学ぶことなくこの歳になった。
現在、心理学を学ぶために通信制大学の三回生だが、今年度は、寄り道して、歴史と経済学を独学している。
それが、とてもおもしろい。高校生の時、あるいは初退した大学生の時、今学んでいることを学んでいれば、人生の選択も違ったのにと思ったりもするが、高校生の時には、ローザ・ルクセンブルクは読めなかったろうし、パウル・クレーの文章を読んでもちんぷんかんぷんだったろう。
講談社の谷川俊太郎作詞、絵パウル・クレーの「クレーの天使」に
鈴をつけた天使という詩があり、こう歌っている。
どこまであるきつづければよかったか
しんだあとがうまれるまえと
まあるくわになってつながっている