苦の解決と神性の存在 そして接骨院の歌
ひとは普通、自分のやりたいことをやりたくて、やりたくないことはやりたくないだろう
意義・意味があると感じられることとか、楽しいとか、気持ちよいことはやりたくて
その反対のことはやりたくないだろう
金のある人、権力のある人はやりたいことをやっていて
お金のない人、権力のない人はその反対と捉えがちだと思う
やりたいことがあるのに、生活の必要上やれなかったり
何らかの邪魔が入ると、人はいらいらしたり、苦しんだりする
やりたいことをやれないのは、
お金がないせいであるとか、権力が無いせいであると捉えがちになる
確かに、賃金労働者の多くは、使い捨てにされている感があり
生きていくのに精いっぱいのような社会構造になっているようにも思う
では、お金のある人、権力を握っている人は、
自分のやりたいことをやれているのか
そもそも自分のやりたいこととは何か
人生の意義とか意味とは何か
確かに、仕事をしようにも、アジアのある地域のような
麻薬の運び屋とか売春を生業とせざるをえないような社会体制は変えねばならない
と同時に、自分を律する倫理を自ら創造していくことも必要だろう
その為には、神(名詞)の復活ではなく 神性(形容詞)の復活が必要なようにも思う
以下の歌では、「あなた」と名詞を使っているが、日本語で表現しているから仕方ない。サンスクリット語でなら「あなた性・神性」と表現したいところです。
接骨院の歌
負けられないけど 勝ってはいけない 闘いが 人生にはある
勝てるんだけど 勝ってはいけない 闘いが 人生にはある
左の頬を打たれても 右の頬を出せる
そんな人は強いな やさしいね
そんなやさしさをもちたいね そんなやさしさを身につけたいね
幾多の人がたたかってきた 幾多の人が泣いてきた
泣きながら星空見上げ 夜明けの空にあなたの声を聞く
打たれても打たれても生きていく そんな力を引き継ぎたいね
わたしになにができるだろ わたしになにができるだろ
そばにいて 手を重ねよう
ぬくもりを背中にあげよう