久しぶりのシンガーソングライター

昨夜は、久しぶりにシンガーソングライターになった
 
何年かぶりに新曲を創り歌った
先月に、豊田勇造さんのコンサートがあり
同じ場所で、6月6日に「新緑新曲コンサート」と銘打って
地元のアマチュアによるオリジナル・ニューソングのコンサートがあることを知った。
 
一年先輩のYさんから、参加を勧められた
「実は、もう何年も、ギターに触れていません」というと
Yさんは、「じゃ、今夜から触れるといいよ」と返事。
 
Yさんの誘いは、「最近どのように世界を、人を、人生を愛していますか?」という問いかけのように感じた。その問いかけに答えるべく、歌うことにした。
 
 時期が5月、6月だったので、母や父のことを含む歌にした。

以下その歌。 題は、「水平の愛」

   
   
  
私のおじいさんの日記に  私の父のことが書いてある

私の父は 生まれた時に  お母さんが 病気だったため

親兄弟から一人離されて  別の家に預けられた

父は 栄養が足らなくて  四つになっても 一人では歩けなかった
 
そんな姿を見かねた  ひいおじいさんとおばあさんが 父を引き取って育てました

父が小学校3年生の時  父の母は亡くなりました

お母さんに 甘えるということを  知らずに育った父でした

お父さんと遊ぶということを 知らずに育った父でした


私の母によれば  母の家は 代々庄屋の家でした

母が生まれた時  母の世話をする女中さんが  二人つけられたといいます

学校へ通うのに 家から学校まで 自分の土地だけを通ってかよえたそうです
 
わたしの母の両親は  いとこ同士で 結婚しました

お互いに好きな人がいたのに  財産を守るためにと  親族が決めた結婚でした

性格が合わず これといった会話もなく よく喧嘩していたそうです


そんな育ち方をした 私の父と母ですが  若者になって 恋愛結婚をしました

私が三人目の子供です

恋愛関係が いつまで続いたのか わかりませんが

私が物心ついたときには  私の父と母もたえずけんかしていました

夕暮れになると 友達が それぞれ自分の家に 帰って行きました

私は家に帰るのが嫌で  一人 海を見ていました

実家の居間の天井には 父が炬燵の天板を振り上げてできた穴が いまでもあります

68歳で父はなくなり その次の年 母もなくなりました


お互いに愛することより 愛されることを望み 

思い通りに愛されなくて 喧嘩していた父と母

私もこの歳になって 少しはあなた方のことが わかるようなきがします


愛そうとしたのだけど さびしさがまさり 愛してほしかったのですね

愛そうとしたのだけど 愛し方が分からなかったんですね


ギターを弾きたくても  誰もがすぐに 弾けるわけではありません

跳び箱を 飛び越えたくても   誰もがすぐに 飛べる訳ではありません

愛そうとしたのだけど 愛し方がわからなかったんですね

私もこの歳になって、少しはあなた方のことが 分かるような気がします


世の中がどうあろうと 相手がどうあろうと 相手をよく知り 自分をよく知り

違うと思っても、未熟と思っても ありのままをみとめること 

世の中がどうあろうと 相手がどうあろうと  

思い通りでなくっても ひとりひとりの幸せを願う

そんな風に生きていきたい そんな風に生きていこうと思う