熊野 神とともにいる暮らし

神のそばにいる暮らし

英二「神は存在すると思いますか?」
ビバリ「神が存在するかどうかについて語り合う前に語ってください。なぜあなたはそのような質問を私にするのでしょうか?その意図はなんですか?」

英二「私はこれまで、神の存在を信じないで来ました。むしろ、神の存在を前提にする人に対して反発を感じてきました。しかし、ものごとが存在すること、現象すること自体が不思議でなりません。実は、今とても疲れた感じがあります。今の世の中の様子やこれまでの人間の歴史を振り返って、未来に理想社会が実現するとは思えません。そんな中で自分の人生にどう生きがいや意味を与えていいのか迷っているのです。私がこれまでいろんな人から聞いてきた神とは違う神が存在しているような気がして、あなたに質問したのです。」

ビバリ「だったら、質問の言葉が違うように思います。神は存在するかどうかではなく、あなたはどのような時に神の存在を感じますか、と質問したほうがいいのではないでしょうか? 神は存在するかどうかを議論して、そしてもし存在すると主張して、あるいは存在しないのだと主張して、そこに何が生まれるでしょう?
 ある人は視覚的に神を感じるかもしれません。ある人々は、聴覚的に感じます。私は、触覚的にも感じます。あなたなりに感じてみますか?」

英二「どうすればいいのですか?」
ビバリ「まず、自分の呼吸を感じてみてください」

以下秘儀。