脳科学と心理学に関するメモ

中枢神経が、おおよそ、脳幹系、大脳辺縁系、新皮質系の三層になっているということは、解剖すれば認められることだと思います。しかし、その三層の関係や働きに関しては、見方が色々あるようです。

元々自分が採用している理論に従って、その関係や働きを説明している傾向があるように思います。いわゆる、観察の理論負荷性がここにもあるようです。

また言葉の使用についても、あいまいさが感じられたりします。例えば、「情動」と「感情」という言葉をきっちり定義せずに、使っていたりします。

例えば(以下引用)

怒りというのは、自分の力で変えることができると判断したときの情動です。
恐怖というのは、自分の力では変えることができないと判断したときの情動です。
悲しみというのは、受け入れざるを得ないと判断したときの情動です。
不安というのは、生命の大原則に反すると感じることは感じるのですが、なにがそう感じるのか、または、どうしてそう感じるのか、まったく見当がつかない状態です。
 したがって、不安の対象や理由がハッキリわかった場合には、怒りや恐怖、悲しみなど、ほかの情動に移行することになります。(以上引用)

として、大脳辺縁系の働きであると説明しているのですが、自分の力で変えることが出来る、出来ない、あるいは受け入れざるを得ないという判断には、新皮質系の働きもあるように思います。私達はどのような過程を経て、変えられる、変えられない、受け入れざるを得ないと判断するのでしょうか?
 
 新生児のころには観察される色々な反射、例えばモロー反射などが、成長と共に観察されなくなるように、脳幹系が行う反射を、新皮質系が制御しているのだろうと、予測できます。
 
 反射や学習などで一旦身につけてしまっている反応とか行動にたいして、より環境に即した行動が出来るように学習し直すにはどうすればいいのか、そこにも色々な理論があります。
 
 そして、どのような理論に出会って、それを身につけていくか?解決していくか?
 曖昧な言葉になりますが、仏教でいうところの「縁」を感じます。

 自己を習う、自己を忘れるというのは、なかなか大変です。