伸び縮みするものさし

次女に問いかけた
「ものの長さは何で測りますかね?」
<物差しとかメージャ>
「そこに物差しやメージャがない時には?」
<てのひらかな>
 
「じゃ、重さは秤で量ったりするけど、秤がない時には?」
<やっぱりてのひらかな>
 
「僕たちが何かを測ろうとするとき、基準となっているのは、僕たち自身なんだね。

 長さとか重さではなく、例えばどこの国へ旅行しようかと判断するとき、僕たちはいろんな物差しで、その国を測ろうとする。物価はどうだろう、治安はどうかな、風景は、国民性は、時間はどれくらいかかるかな、それも自分という物差しだよね。
 
ところで君、尺貫法って知ってる?
君のおばあちゃんの時代は、例えば物差しは1センチメートル刻みではなく、1寸で刻まれてあったんだよ。見たことないかな?
 
1センチメートルで刻まれた物差しが唯一の客観的な物差しではないということだね。」
 

私達は、この世の中や、他の人々を、「私」という物差しで量ったりする。
物差しが、実は、日によって、環境によって伸び縮みしているように、
私という物差しも日によって、時間によって、状況によって伸び縮みしている
 
去年の3月、4月ヘモグロビン値が正常の3分の1まで下がり、
2mの高低差の坂道を登るにも大変になり
手術後回復した頃
生きていることだけで有難かった
元気になって
通信制の大学で勉強をはじめた
世の中がどうあれ、生きていることがありがたいという心境だけでなく
何とかこの世を変えたいという思いが同居している
 
私という物差しが伸び縮みしている、あるいは複数の物差しがある
その私という物差しを測る物差しを持つことも大切だ
物差しの伸び縮み、あるいはどの物差しを使うかを選ぶ切り替えは
一つは、呼吸にある
 
ALO~~~~~HA~~~~~~~