牛耕とトラクター

 今から40数年前、私の実家の隣では、牛を飼っていた。乳牛ではなく、田んぼを耕すための牛だ。
  
 私は、山の中に一軒家を立てた。今から20数年前のことだ。建ててから、10年くらいは、家の周りや菜園や駐車場の草刈は、草刈鎌で行った。切れなくなれば、砥石で研いだ。今は、草刈機で刈る。
  
 牛で田んぼを耕していた頃、私の住んでいる地域にも、村の加治屋さんがいた。父母は、鎌や鍬などをつくってもらっていた。
  
 人類が内燃機関を発明して、石油・ガソリンを動力にするようになって、農業生産高は、ずいぶん上がったことだろう。明治初期の日本の人口は、約3000万人だったといわれる。
 
それがいま、12000万人を超える。自給率のことはさておき、それだけの人口を支える食料が生産されているということだ。
  
 しかし、牛の糞は、堆肥になった。それがまた植物となった。トラクターの糞は、どうなるのだろう?
  
 生産高が上がれば、人類全体も裕福になるはずだったのだが、余剰農産物は、自給自足経済文化を次々と壊していった。そのことがよくわかるのが、インドのラダック地方だ。
  
4000メートル級の山の中にあるラダックの人々の暮らし。農業が生活の中心であったころは、男も女も老人も子供も、それぞれに仕事があった。中国やパキスタンとの国境問題を控えて、インド政府がラダック地方に食糧援助を始めると、ラダックの人々の暮らしは変わってしまった。男たちは、賃金労働者になり、女と子供はその男を待つ女になってしまう。
   
 20歳代の頃、開墾が好きで、荒れ地になってしまっている畑を復活させた。鍬、ツルハシ、鋸、鎌といった道具は使ったが、人力で行った。鍬で畑を耕す、あるいは鋸で木を切り倒していると、自分の一日の限界量が見えてくる。
  
 逆のことも見えてくる、利潤を上げるためには、石油を使うこと、人を雇うことだと。
更にいえば、人に貸すことが一番儲ける。いわゆる不労所得
 実際、世の中は、不労所得で暮らせていく人々と、働けど働けどわが暮らし楽にならざる人々の2極化に向かっている。
  
 不労所得の人々は、自分の立派な椅子を持ちながら、さらに椅子を奪って、賃金労働者な椅子取りゲームをさせる。そんな社会の中で、大地を椅子にする方法、自分で自分の椅子をつくる道を探っている。