「生」を受け入れる

去年の4月ごろまでの、人生観を振り返ると
 
「苦しみというのは、必ずやってくる死と向き合うことを避けているから生まれるのだ」
死と向き合い、それを受け入れることによって、人は人らしく生きられると理論づけ、
それを実践しようとしました。
 
毎朝、「もし今日が最後の日なら、どう生きるか?」
と問うことから一日が始まりました
 
体の不調があっても、それを直そうとせず
この不調のままどう最大限生きられるか、と実験しました
 
実際、体は不調が蓄積し、ついに、2mの高低差の坂道を上がるのもしんどくなりました
自分では、心臓が悪いのだと思っていました
父が、68歳で心筋梗塞でなくなっていました
 
3月の中頃になって、それまで以上に、急に体力が落ちました
それで、急遽接骨院を閉め、翌日医療センターに行きました
 
心臓は悪くなく、ヘモグロビン値が正常の三分の一に下がっていました
 
医療センター内を歩いていて
啓示のような感覚がありました
 
自分は生かされている、生かされてきた
あらゆる存在の力によって、生かされてきたのだ
 
生きたい、今も生かされている、まだまだ生きねばならない
 
今なら思う
確かに、死を受け入れることも大切だけれど
いついかなる時も、そのような予行演習をしながら生きることはない
死を受け入れることも大切だけど
生を受け入れることも大切だと