一回性と繰り返し性(冗長性)

今日は朝目覚めてから「一回性」について思っていた
   
というのは、一日、一瞬が、一回性の出来事であるのに、
ついそのことを忘れてしまうからだ
 
鬱な気分のとき、あるいは、男の更年期と呼ばれるようなとき
毎日が同じような繰り返しのように思ってしまったりする
それでいて、その先にまっているのは、「死」(意味の喪失)だ
  
個人の死、国家の死、文明の死、星の死、それもまた同じように繰り返されるように感じたりする
    
そういった状態を警告する為に
「一期一会」とかそれに類似した言葉があるが
どうも余裕が感じられないし
<一回性>と<繰り返し性>を対立するように捉えている感じがする
  
そもそも一期一会なんて「言葉」を理解できるには、限りない<繰り返し性>があってのことだから
  
呼吸は、息を吐いたり、吸ったりの繰り返しだ、
しかし、一回一回の呼吸の内容は、それぞれちがう
一回性と、繰り返し性は、対立していない
 
一回性とは、丁寧に差異を感じ取ることだと思う
繰り返し性とは、共通性やパターンを見出すこと
差異の範囲を規定している構造を見出すことだと思う
(差異に注目すれば一回性が感じられ
 パターンを見出そうとすれば繰り返し性が見えてくる)
 
一回性はメンバーレベルであって、繰り返し性はクラスレベルのことだと思う
当然、クラスレベルに対して、メタクラスレベルがあるだろう
 
止観の「止」を実践していると、より細かな、差異を見出すことができる
より微細な、微妙な一回性を感じ取ることができる
 
が、「観」が無いと、簡単に魔境に落ちるように思う