意馬心猿 瞑想

意馬心猿のことはこれまで何度か書いてきた
 
私達の意識は、荒れ狂う馬のよう
私達の心は、酔っ払った猿のよう
 
瞑想をすれば、より実感する
 
意馬心猿じゃよくないのか?
良くないことはないけれど、
苦しみを伴う意馬心猿を避けたいと思うのは人情
 
しかし、わかっちゃいるけど、止められない
あるいは、わかっちゃいるけど、できはしない
そこで、また苦しむ
 
アフォーダンスという概念があるように
こころは、環境に組み込まれている
  
腹を立てている人のそばにいると
(修業が足りない場合は)その影響を受ける
 
人は一人では生きられないので
住んでいる環境の影響をもろに受ける
家族、学校、会社、地域社会、国家、民族、自然環境
 
どうやって、調和の取れた意馬心猿になれるか
意馬心猿を上から(あるいは下から)見ている心根になれるか
古今東西、色々な人が工夫してきた
 
(方便として?)
真心、仏性、如来蔵が、深遠にあることにして
それを発現させる工夫として、呼吸法や瞑想、行が工夫された
(なにしろ、縁起の法を説いたのも仏陀自身だし、
 輪廻転生を言ったのも仏陀ですもの。対機説法。)
 
仏教では古くは、瞑想のことを、四念処という
四念とは、身受心法のこと
 
身受心法の語釈も、いまではいろいろ
法を心の対象としている人も居る
(私は、法は、仏陀の言葉、縁起の法としています)
 
仏陀は、中国語では語っていない
梅開早春
梅は、早春に開くのか
それとも、梅は早春を開くのか
どちらとも取れる
 
無門関ではなく、「空門関」と改題しましょうか?
 
止と観
止を実践すれば
いわゆる「今ここ」に生きるということを体感する
気持ちも良くなる
しかし、その「今」は、過去と未来と現在を分断した
要素論的な「今」になりやすい
 
わかっちゃいるけど、やめられない?
わかっていないんですよ
 
ともかく、息に気付き、ゆっくり吐いて見ましょう