制御? 自己同一性と自己不同一性

生老病死
誰しも老いたくはないだろう 病気になりたくないだろう 死にたくないだろう
だけど私達人間は、自分が老いていくことを知っている
思いがけず病気になったり、やがて死んでいくことを知っている
 
そこで、なんとかそういうことが起こることを避けたり、先延ばしにしようとする
思い通りにしようとし、制御を試みるが、思い通りに行かなかったとき、苦しむ
実存的な苦
 
愛別離苦、怨憎会苦
誰しも、人とは円満に暮らしたいだろう
しかし、しばしば人と人は対立する
 
いつまでもそばにいたいと思っていても 
社会的状況がそうさせないときがある
 
そこで他者に、制御を試みるが、すべてが思い通りになるわけではない
また苦しむ
人間関係苦 社会的な苦
 
求不得苦、五陰盛苦
絵を描きたい、外国語を話したい、と思っても、
みんなが順調に絵を描けたり、外国語を話せたりするわけではない
そこで、やはり、自分自身に対して制御を試みるが
思い通りになるわけでない
 
自然に対する制御、他者に対する制御、自分自身に対する制御
と一応、三つに分けたが、実際は、その三つにはっきりした境界は引けない
 
制御しようにも、できない制御と、必要のない制御と、可能な制御があるのだろう
 
どんなに精密に絵を描いても、それは実物にはなりえない
実物にはなり得ないと知ったうえで、納得のいくところまで制御したいもの 
 
言葉もまた同じ 
言葉は月をさす指だといわれるが、
より正確にその方向を示せるように制御できるようになりたいもの
 
さて、老は制御できないか、死は制御できないか
する必要がないか
Aをすれば、制御できるという「A」があるのか?
 
そもそも、「老」や「死」はあるのか
自己同一性「自我」を前提として、老や死はある
自己不同一性「諸法無我」の前では、老はなく、死もない
老は、老でないものごと、との比較の中で、老であり
死は、死でないものごと、との比較の中で死である
 
比較をやめたとき、老も死もない
 
そして、やっぱり人は老いて行き、死んでいく
 
自己同一性は、自己不同一性と対になっている
 
絵を描いたり、瞑想していると、対が見えたり、感じたりする