「啐啄同時」という言葉があります。
禅に由来するようですが、「啄」の字だけだと、石川啄木を思い出してしまいます。
師匠と弟子、先生と生徒の関係、何かを教え伝えるときには、タイミング・時期・相性というものがあるという意味で、よく訓示とかで使われているように思います。
私は、実際に鳥の親が卵をつつき、雛も内側からつついて割って出てくるという場面に出くわしたことがありません。 ま、そういう言葉があるのだから、そういうことが観察されるんだろう、というくらいに思っていました。
最近鳥に関する本を読んでいて、「卵歯」というものの存在を知りました。
鳥の雛だけでなく、亀の赤ちゃんも、あるいはトンボの幼虫も、卵から孵るとき
嘴の先に卵歯というものが付いていて、それで殻を破ってでてくるそうです。
で、改めて啐啄同時を考えました
亀の親やトンボの親が、卵を外からつつくことはありません。
鳥だけがつつくのでしょうか?それもある種の鳥だけでしょうか?
というのは、孵卵器のなかででも、親無しで鶏は孵ります。
啐啄同時というのは、国語的な表現であって、自然界ではあまり観察されないことなのでしょうか?
卵は、簡単に割れてはその役目を果たしません。又ぜんぜん割れなくても、雛が出て来れません。
ですので、適度に割れず、適度に割れることが必要です。
ある程度壊れにくく、ある程度壊れやすくなくてはならない
というのは、卵の殻だけでないように思います
殻ではないけれど、人間の皮膚も、約28日で、新しく生まれ変わっています
命というものは、壊れにくく壊れやすくという「ゆらぎ」の中で変化しているように思います
いつ殻が割れるか、それは、確かに内側からの力だけでなく
いろいろな縁によって、起こる出来事なのでしょう
例えば、樹木の種には、一旦鳥の腸の中を通過しないと発芽しないものがあるそうです。
ちなみに、ロボットに、人間のように卵を割らすのはむずかしいようです。
キューピーマヨネーズの会社では、卵割機というものがあって、一分間に600個割ることができるとか。
割るだけでなく、黄身と白身を分離するようです。
どのような仕組みになっているのでしょう?