食前の祈りと語り

 今では少なくなってきているといわれているが、食事の前に「いただきます」というのが、かつて日本人のありふれた食事風景だったと思う。
 
 洋画の中で、キリスト教社会でも、食前の祈りをすることは度々目にしていた。
 
 十字を切ったり、無言で祈ったり、定型の言葉を述べたりというものだと思っていた。
 
 ところが、20年ほど前、牧師さんとお友達になり、共に食事をする機会も度々あり、食前の祈りというものがどういうものであるかをはじめて知った。
 
 「天にまします我らの父よ、今日の糧を与えてくださり、ありがとうございます」という言葉の後、毎回アドリブで、その場に居る人一人一人のとりなし(?)の祈りもしてくださるのだった。
 
 私は、キリスト教信者ではないので、言葉の一部を変えて、毎朝食前に、祈ることにしている。

 「われらを養ってくださる御自然様、今日の糧を与えてくださりありがとうございます」が定型で、食事の前に自室で行った瞑想のとき浮かんだ言葉を、語ることにしている。

 「無無明亦無無明尽と般若心経では述べられていますが、ともあれ、今日も一日美しく生きたいと思います。頂きます」といった風に語る。
 
 家族は、聞くともなしに聞いている。