客観という言葉について システム理論的に あるいはアフォーダンス

k1s2007-01-05

ムンカー錯視というものがある
同じ赤の色なのに、青にはさまれた時と黄色に挟まれた時では
違った色に見える錯視のこと
青の間だと赤紫色に見え、黄色の間だとオレンジ色に見える
 
詳しくは、以下のHPにある
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/index-j.html
北岡明佳の錯視のページ 
立命館大学教授
 
客観的には、赤色なのだという言い方もできるが
両側に何もないときの色、とも表現できる
  
言葉の意味というものは、文脈によって違うといわれるが
色の感じも、その環境との関係によって変わるということ
  
人間の個性(考え方や行動)にしても、そのおかれている環境との関係で変わってくる
そもそも個性という言い方とは違う表現が必要になるだろう
 
心というものを、人間内部にあると捉えるか
環境・対人関係とのかかわりの中にあると捉えるかで、
例えば悩みの解決の仕方が変わってくる
 
内部にあるといってもいいだろうし、関わりの中にあるといってもいい
要は、解決できればどっちでもいい
 
では、実際どちらの捉え方のほうが救済力があるだろう?
 
私にとっては、関わりの中に「心」があると捉えたほうが、救済力がある
 
悟りにしても、私が悟るのではなく、世界全体が悟るとしたほうが
苦しみの解決につながる
悟ろう悟ろうとすれば、かえって遠くなり、エゴの塊になりそうだ
(これも私にとって)