笑う門には福来る という言葉があります
この言葉にはひとつの世界観があります
福来るから笑うのではなく、笑う門に、福は来るのです
「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」ということを述べたのが
アメリカの心理学者ウイリアム・ジェームスで、
心理学分野では、「ジェームス・ランゲ説」といわれています
このパターンは色んなところで、「使えそうです」
優しいから、優しく振舞えるのではなく 優しく振舞っていると、優しくなる
乱暴な動きをするから、腹が立つ
愛し合っているから、触れ合うのではなく、触れ合っていると、愛してしまう
眠いから、いつまでも寝床にいるのではなく、寝ているから眠い
起きてしまえば、眠くない
衆生を救おうという心があるから、菩提心や慈悲という行動が生まれるのではなく
ともかく、衆生を救うのだと誓願させ、行動しているうちに、そうなってしまう
「使える」という表現にしたのは、それを私は真理であることを主張していないということを表すためです
(こころが)緊張するから、筋肉が凝るのか、筋肉が凝るから心が緊張するのか
という文章にしてみればわかるように、心と筋肉を独立にした実体と捉え、分けるということが前提になっています。
(要素論的ですね)
(ジェームス・ランゲ説は古典的学説と言われています)
川に橋を架けるとき、客観的なデータが必要です
実際の強度も必要です
しかし、高所恐怖症の人と橋を渡るとき、
その人を安心させるには
客観的なデータや強度とは別の情報が必要です
街を走っていると、救急車に出会うことがあります
ドップラー効果によって
救急車に近づいているとき、遠ざかっているとき、すぐ後ろをついて走るとき
同じ音源でありながら、それぞれ違った音に聞こえます
物理的客観的には、決まった数値があるでしょう
しかし、救急車との位置関係で、聞こえ方は違います
心理学には客観主義的心理学と、主観主義的心理学があり
臨床心理学の多くは、客観を問題をするのではなく、クライアントの主観が話題になります
主観主義、客観主義と並べて使用するときの「客観」も
主観と同列で、主観の一部といえます
客観という言葉を使うとき
主観と並列の<客観>と主観・客観より上のクラスの「客観」つまり、
メタ客観を使い分ける必要があると思います
山口創著 子供の「脳」は肌にある 愛撫・人の心に触れる力
それぞれ2004年初版 2003年初版
をよんでいて、皮膚のことを説明するのに参考になるのだけれど
言葉の使い方が、旧来的なようにおもう
12月というのに、熊野では、いまだに蚊を見かける
あんな小さな体、小さな脳でありながら、どうやって人間の攻撃を上手くすり抜けるのだろうといつも不思議に思っていた
アフォーダンスや、システム理論で説明すると、いくらか、納得がいくような気がする