ええかげんさと緻密さ 般化と弁別 どっちも大事

葉書や封書に、郵便番号を書くことは、当たり前になった
投函された葉書や封書は、その郵便番号を人間が選別するのではなく、
機械が選別してくれる
 
例えば、同じ6という数字も、人によって、大きかったり小さかったり、傾いていたりする
それを、同じ6と認識して、機械は選り分けていく
 
一方、最近のセキュリティシステムとして、虹彩で、本人かどうかを確認する機械があるそうだ
映画なんかで出てくる
 
よく似ていても、小さな違いを見い出して、区別する
 
心理学の世界では、般化とか弁別という難しい言葉を使ったりするが
郵便番号読み取り機が、同時に、虹彩の違いを読み取ったり
逆に、虹彩の差異を読み取る機械が、郵便番号を読み取る機能はないだろう
 
ところが、人間の目は、というか人間というシステムは、両方を兼ね備えている
 
少々の違いを無視して、同じ仲間として分類することと
小さな違いを見い出して、違うものと分類することは、対立することではなく
同時に進行しているのだと思う
 
郵便番号の読取り機にしても、少々の違いがあっても、ある程度の違いなら6の仲間と判断して、選別すると同時に、あまり違うものは、6でないと判断するだろう
 
より詳しく違いを見い出すことと、より詳しく同じ要素を見い出すことと
同時に、ある程度の違いを見逃したり、ある程度の同じ要素を見逃すことが
学習の上達に関係しているのだと思う
 
ロボットを賢く作りすぎて、ある程度の違いを見逃すことが出来ないと、そのロボットは、情報処理ばかりして、実際に動くことが難しくなるそうだ
 
とはいうものの、人間だって、あまり細かく考えすぎたり、採用しなくてもいい情報を一杯取り込もうとして、身動きが取れなくなったりする
 
人間が、生きていくには、ええかげんさと、緻密さが、同時に必要ということだろう